20世紀日本人名事典 「島田帰」の解説 島田 帰シマダ キ 明治期の実業家 釜山日本商業会議所会頭。 生年嘉永4年6月16日(1851年) 没年大正2(1913)年9月19日 出身地大和国櫛羅(奈良県) 旧姓(旧名)関 経歴大和櫛羅藩士・関祐忠の二男に生まれ、のち同藩士・島田平作の養子となり、名を帰と改めた。慶応3年(1867年)組合銃隊の鼓手となり、明治2年用人役心得に進む。6年海軍省に出仕、のち大蔵省を経て、22年第一国立銀行に入り、27年釜山支店に赴任。33年辞職して日韓商船取締役となり、のち第五十八銀行釜山支店支配人、釜山信用組合理事、釜山日本商業会議所会頭などを歴任、釜山に約20年間留まり、朝鮮経済界に貢献した。また居留民団長として終始公共のために尽力した。 出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報 Sponserd by
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「島田帰」の解説 島田帰 しまだ-き 1851-1913 明治時代の経営者。嘉永(かえい)4年6月16日生まれ。海軍省,大蔵省をへて,明治22年第一国立銀行にはいり,27年釜山支店に赴任。33年辞職し,日韓商船取締役,第五十八銀行釜山支店支配人,釜山日本商業会議所会頭などをつとめた。大正2年9月19日死去。63歳。旧姓は関。幼名は賢次郎。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by