精選版 日本国語大辞典 「海軍省」の意味・読み・例文・類語
かいぐん‐しょう ‥シャウ【海軍省】
出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報
出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報
旧日本海軍の軍政をつかさどった行政機関。1872年(明治5)2月28日設置、1945年(昭和20)12月1日廃止。明治政府の軍事に関する最初の官制は、七科制のなかの海陸軍務科で、ついで八局制の軍防事務局、さらに太政官(だじょうかん)制の軍務官、兵部省と変遷した。海軍独自の行政機関としては、軍務官の下に海軍局がいったん置かれたが、兵部省設置に際し中絶し、改めて1870年2月9日兵部省内に海軍掛が設けられ、ついで1871年7月兵部省海軍部となり、1872年海軍省として独立した。当初の海軍省は、軍令と軍政を一元的に統轄する海軍の最高機関であった。長は海軍卿(きょう)で、そのもとに大輔(たいふ)、少輔(しょうゆう)などが置かれ、同年10月の海軍省職制と海軍省条例により3局が置かれた。1876年の海軍省職制により5局と3課が置かれ、海軍省は海軍戦艦に関するいっさいの事務を管理するところとされた。1884年海軍省内に軍令部門をつかさどる外局として軍事部が置かれ、1886年これを参謀本部に移管して海軍部としたが、1889年ふたたびこれを取り戻して海軍大臣のもとの海軍参謀部とした。そして1893年これが独立して天皇直隷の海軍軍令部となった。1885年内閣制度成立後は海軍省の長が海軍大臣となった。初代海軍卿勝安芳(かつやすよし)は文官であり、内閣制度成立後の海軍大臣は、初代西郷従道(つぐみち)、2代大山巌(いわお)、3代西郷の再任、4代樺山資紀(かばやますけのり)でいずれも陸軍の将官であった。1900年(明治33)の官制により海軍大臣の補任資格が海軍の現役将官に限られる(軍部大臣現役武官制)ようになった。この補任資格は、大正政変後の1913年(大正2)の官制改正で現役に限る点を削除したが、二・二六事件後の1936年(昭和11)ふたたび現役制に戻った。
日清(にっしん)・日露戦争を経ることで海軍の地位は向上し、しだいに陸軍と対等になった。日露戦争後アメリカを仮想敵国として海軍軍備を拡張し、海軍省の機構もしだいに充実した。1916年には大臣官房のほかに、軍務局、人事局、艦政局、機関局、医務局、経理局、法務局の7局を置いた。1920年には艦政局が軍需局に変わり、1923年には教育局と建築局が、1940年には兵備局が新設された。海軍省の権限は、陸軍省よりも海軍部内に対してははるかに強大であったが、1930年のロンドン軍縮条約問題を契機として統帥権独立論が強調され、1933年海軍軍令部が軍令部に改称するとともに、権限の一部を軍令部に委譲した。1945年12月海軍省廃止とともにその業務は第二復員省に引き継がれた。
[藤原 彰]
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報
明治初年から第2次大戦の敗戦まで海軍の軍政を統轄した中央官庁。1871年(明治4)7月,兵部省海軍部を設置。72年2月,兵部省の廃止により陸軍省・海軍省が分離して設置された。はじめは太政官の一省で,初代海軍卿は勝海舟。85年内閣制度制定により内閣の一省となる。初代海軍大臣は西郷従道(つぐみち)。海軍省設置当初は秘史・軍務・造船・水路・会計の5局からなる。86年海軍省官制制定により大臣官房および軍務・艦政・会計の3局がおかれた。軍政だけでなく海軍の教育も管轄,89年に海軍参謀部(のち海軍軍令部)が設置されるまでは海軍の軍令機能も保有した。1945年(昭和20)11月に廃止され,第二復員省となった。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
出典 株式会社平凡社世界大百科事典 第2版について 情報
大阪府中部,大阪市の中央部にある運河。東横堀川から中央区の南部を東西に流れて木津川にいたる。全長約 2.5km。慶長17(1612)年河内国久宝寺村の安井道頓が着工,道頓の死後は従弟の安井道卜(どうぼ...
9/11 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新