崔鳴吉(読み)さいめいきつ(その他表記)Ch`oe Myǒng-gil

改訂新版 世界大百科事典 「崔鳴吉」の意味・わかりやすい解説

崔鳴吉 (さいめいきつ)
Ch`oe Myǒng-gil
生没年:1568-1647

朝鮮,李朝の文臣,儒者。字は子謙。号は遅川,滄浪。全州の人。文科に及第後,趙翼,張維らと交遊学問に励み陽明学をも研究した。西人派に属して光海君を追放し,金らと仁祖を迎立,以後要職を歴任。後金(清)の侵入時には,洪翼漢などの斥和論に対して,現実重視の主和論を唱え,清に降服条件を打診するなど講和を主導した。文章に優れ,董其昌体の書をよくした。著書に《遅川集》などがある。諡号(しごう)は文忠
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出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

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