嵯峨谷村(読み)さがたにむら

日本歴史地名大系 「嵯峨谷村」の解説

嵯峨谷村
さがたにむら

[現在地名]高野口町嵯峨谷

紀ノ川中流域右岸の葛城(和泉)山脈の南斜面にある。東は九重(くじゆう)村、西は竹尾(たけお)村。室町時代初期と思われる高野政所下方田畠在家帳目録(又続宝簡集)に、下方山村分の一として「佐賀谷」の名がみえ、中世は高野山領官省符(かんしようふ)庄下方に属する村であったことが知られる。

慶長検地高目録には「佐我谷村」とみえ、村高一六七石余、小物成四・七六石。延宝五年(一六七七)の禿組指出帳控(大畑家文書)は「佐荷谷村」と記し、田畑一五町二反余、高一六八石余、小物成は桑・茶・紙木で六・六五石、家数三八(本役一五・半役一四など)、人数一八九、牛二五。江戸時代末期には家数五一と増え(続風土記)、中組に属した。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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