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嶺田楓江 みねた ふうこう

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

嶺田楓江 みねた-ふうこう

1817-1883 幕末-明治時代の教育者。
文化14年生まれ。丹後(京都府)田辺藩士。佐藤一斎に儒学を,箕作阮甫(みつくり-げんぽ)に蘭学をまなぶ。嘉永(かえい)2年(1849)アヘン戦争について「海外新話」を刊行,幕府により3年の在獄と三都所払いとされる。上総(かずさ)(千葉県)木更津にうつり,維新後は房総各地で新時代の教育をおこなった。明治16年12月28日死去。67歳。名は雋。字(あざな)は士徳。通称は右五郎。

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書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

朝日日本歴史人物事典の解説

嶺田楓江

没年:明治16.12.28(1883)
生年:文化14(1817)
幕末の紀州田辺藩(和歌山県)藩士,民間教育家。佐藤一斎,箕作阮甫,林復斎,梁川星巌らの教えを受ける。嘉永2(1849)年『海外新話』を著しアヘン戦争を紹介。これが幕府に忌まわれ投獄される。同4年出獄,三都所払いとなる。時に35歳。上総請西(木更津市)に家塾を開く。元治1(1864)年藩命により帰藩,禁門の変に従軍。明治維新ののち再び請西に居を構え,千葉県下での社会教育に半生を捧げた。

(井上勲)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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