川南郷
かわみなみごう
高鍋藩が領内を支配するための行政単位の一つで、野別府六郷代官の支配に属した。名貫川を挟んで川北郷(現都農町)の南に位置する。川北郷と合せて野別府両郷(名)ともよばれた。大池村・猪窪村の二村で構成された。郷内の村はいくつかの門に分けられており、川南郷には白鬚・小迫・祝子塚・孫谷・垂門などの門があった。垂門の一部は平田郷に含まれた(「本藩実録」など)。元禄一四年(一七〇一)二月、当郷庄屋伝左衛門は白髪門田二反・上垂門田三反など四ヵ所の開発を願出ている(拾遺本藩実録)。同年七月、野別府代官金丸利兵衛は川南など六ヵ村(郷)の支配を命ぜられている(同書)。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
Sponserd by 