川原新田村
かわらしんでんむら
[現在地名]立川町肝煎
立谷沢川下流右岸に位置する清川村の枝郷。北は立谷沢川を隔て清川村、西は片倉村、南は中島村、東は土湯山麓。中島村の小名生操(繰)沢と併せ生繰沢村と称されることもあった。開発は寛文二年(一六六二)で、川原新田として同五年より高入れされ、高一三石余。元禄期(一六八八―一七〇四)に切添検地が度々行われたが、川欠けのため大きく高は変わらず、元禄一二年の庄内領郷村帳(酒井家文書)では高一六石余。正徳四年(一七一四)の高一一石余(「清川組総石高」斎藤文書)、寛政四年(一七九二)の高一三石余(「肝煎重助控」同文書)、享和三年(一八〇三)の高九石余(「川原新田水帳」旧清川村役場文書)。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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