立川町
たちかわまち
面積:一九一・九七平方キロ
庄内平野の東端、内陸地方と庄内を結ぶ分岐点に位置し、東は出羽山地を境に最上郡戸沢村・大蔵村、北は最上川を隔て飽海郡松山町と余目町、西は藤島町および羽黒町、南は大蔵村・西村山郡西川町に接する。南北に細長い形を呈し、南部は月山(一九七九・五メートル)を中心とした山岳地帯で、そこを源流とする立谷沢川が北流して、町域北端を北西流する最上川に合流する。総面積の約八〇パーセントは山林である。気候は比較的温暖であるが、冬季には南東部の立谷沢地区は深雪地で、北部は北西の季節風が激しい。また春から秋にかけて吹く東風の清川ダシは、しばしば農作物に被害を与える。清川ダシは気圧配置が東高西低のときに発生し、新庄盆地にたまった冷気団がおろしとなり最上川峡谷で収束、庄内平野に吹出す。
立川町
たてかわちよう
[現在地名]前橋市千代田町二―四丁目
近世の町人町板屋町を明治六年(一八七三)立川町と改称。横山町の北側にある東西の町筋で、東端で道は二つに分れ、南東へ向かう道は萱町となり、もう一本の北東へ向かう道は広瀬川を渡って諏訪町へ続く。西は竪町と丁字形に交差する。貞享元年(一六八四)の「前橋風土記」に「下之町の東に在り。道は東西に通じ寺院多し」と記される。
立川町
たつかわちよう
[現在地名]金沢市森山一―二丁目・東山三丁目・小橋町
大衆免片原町の北に位置。北の御仲間町に続く通りの片側町。通り西側は小川溝に沿う。長さは約一町二〇間(皇国地誌)。文政六年(一八二三)に町立てされ(「又新斎日録」加賀藩史料)、幕末の金沢町名尽(金沢市立図書館蔵)には地子町とある。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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