日本歴史地名大系 「立谷沢村」の解説
立谷沢村
たちやざわむら
庄内地方最東部、月山を源として北流する立谷沢川の中・下流域両岸を占める。南西は月山連山に囲まれ、東は出羽山地に沿う。肝煎村とも称された。元和八年(一六二二)の酒井氏知行目録に村名がみえ、高六六九石余。寛永元年庄内高辻帳では高一千一八〇石余。寛永八年(一六三一)の村々肝煎定(清川斎藤文書)などには立谷沢村のほかに
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
庄内地方最東部、月山を源として北流する立谷沢川の中・下流域両岸を占める。南西は月山連山に囲まれ、東は出羽山地に沿う。肝煎村とも称された。元和八年(一六二二)の酒井氏知行目録に村名がみえ、高六六九石余。寛永元年庄内高辻帳では高一千一八〇石余。寛永八年(一六三一)の村々肝煎定(清川斎藤文書)などには立谷沢村のほかに
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