川向唐仁橋町・川向御所子町(読み)かわむことうじんがはしまち・かわむこごしよのずしまち

日本歴史地名大系 の解説

川向唐仁橋町・川向御所子町
かわむことうじんがはしまち・かわむこごしよのずしまち

[現在地名]敦賀市みなと町・栄新さかえしん

小屋川こやのかわの東、通称川向(川東ともいう)海辺に沿って東へ延びる漁師町。なおこの二町をさして両浜(猟浜)ともいう。川向唐仁橋町は小屋川に沿った一番いちばん町から五番町までの五町およびその東の真禅寺しんぜんじ町の一部からなり、川向御所辻子町は真禅寺町の大部分と、その東へ続く一―五番町およびさらに東に生じた片原かたはら町からなる。川向御所辻子の二番町は天満神社に面するので正面しようめん町の称もあった(敦賀町絵図)。この二町は近世初期までは小屋川の西、しようノ川とに挟まれた通称川中かわなかにあったといい、「敦賀志」は「此二町ハ御所・唐仁の両町より爰に移れり、此地はもと網製こしらへの舟小屋成しか、漁猟に便成を以て、天正の初より次第に移り来て爰に住事とハ成ぬ、初て壁つけて住ける者を、今猶壁ノ内某といひ、始て家土蔵を建て住し者を、今猶家倉某と云、今処々に外井あるハ小屋住居の時の遺りなり」と記し、移転の時期は天正四、五年(一五七六、七)頃とする。同書は移転の理由を「漁猟に便成を以て」とするが、寛文七年(一六六七)四月の川向積荷船役銀出入覚書(家倉家文書)の中で両浜惣中が「七拾年余以前に川向御意ニ而参候」と述べるごとく、天正後半の敦賀城築城に伴う城下町整理の一環での移転であろう。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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