川守郷
かわもりごう
「和名抄」高山寺本・刊本とも訓を欠く。のちには河守とも記した。
古代における川守郷については他に史料をみず不詳。中世には康永二年(一三四三)三月一二日、仁木頼章が久下頼直を「河守郷」代官職に補任(「仁木頼章袖判書下」久下文書)している。また永徳元年(一三八一)三月二九日付義満御判御教書(「萩藩閥閲録」所収大和忠左衛門家文書)に
<資料は省略されています>
とあり、大和新左衛門がこれより前から当郷と関係をもっていたことがうかがわれる。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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