川後森城跡
かごのもりじようあと
[現在地名]松野町松丸
松丸の町の南背後にある山城跡。河後森城とも記される。山頂は一段と高く、その下は二段・三段の平坦地となっている。「宇和旧記」によると当城主渡辺氏は、川原淵組・薄木組・貞延組・成妙組・黒土郷の内で、近世の石高に直して一万六千五〇〇石を領し、川原淵殿と称された。その地域はおよそ現在の松野町・広見町・日吉村にわたる。
暦応三年(一三四〇)の清谷寺諸旦那譲状(大洲旧記)には「河原淵殿一族」とあり、南北朝初期にその名をあらわす。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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