日本歴史地名大系 「北宇和郡」の解説
北宇和郡
きたうわぐん
愛媛県西南部の郡。宇和島市により南北に分断され、その北に吉田・三間・広見・松野の四町と日吉村、南に津島町がある。郡の東部には
〔原始〕
〔古代〕
〔中世〕
古代から鎌倉初期にかけて、この地域は橘氏の所領であった。橘遠保が藤原純友の反乱を鎮定して以来、その子孫は宇和郡に蟠踞する豪族となった。鎌倉幕府が成立すると、橘公業(公成)はその御家人となり、宇和郡地頭職を得た。寛喜三年(一二三一)三月二七日に「伊予国宇和庄内小立間重貞名」の地頭職が、公業からその子乙王丸に譲られている。この
鎌倉末期から室町期にかけて、この地域にも多くの在地領主(国衆)が成立する。竹林院家はのち西園寺相国実兼の子左大臣公衡の別号竹林院をその姓としたものという。その子孫公明は西園寺氏一族として、
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報