戦国期から江戸期の城。愛媛県宇和島市丸之内にある。古くは丸串(まるぐし)城といい、典型的な平山城(ひらやまじろ)である。941年(天慶4)藤原純友(すみとも)の乱のとき、警固使であった橘遠保(たちばなのとおやす)が居城したとの伝えもあるが不詳。戦国期、家藤監物(いえふじけんもつ)、さらに1575年(天正3)西園寺宣久(さいおんじのぶひさ)が居城している。1585年からは小早川隆景(こばやかわたかかげ)の支配するところとなり、城代が置かれたが、1595年(文禄4)藤堂高虎(とうどうたかとら)が7万石を領して入り、修築を加え、現在みられるような不等辺五角形の特異な縄張りに改められている。のち富田信高(とみたのぶたか)を経て伊達政宗(だてまさむね)の長男秀宗(ひでむね)が1615年(元和1)10万石で入城、以来世襲して幕末に至った。往時は城門17、櫓(やぐら)33を数えたが、現在は寛文(かんぶん)(1661~73)のころ修築された天守閣と上立門(のぼりたちもん)を残すのみである。
[小和田哲男]
出典 日外アソシエーツ「事典・日本の観光資源」事典・日本の観光資源について 情報
…1615年(元和1)伊達秀宗が入封して以来,伊達氏10万石の城下町として栄えた。市街は分離丘陵に立地する宇和島城を中心に展開し,東・南方の旧市街は扇状地上に,北・西方の新市街は旧干拓地上に立地する。大正年間から第2次世界大戦前までは製糸工業が盛んであったが,現在は造船,木工,食品加工などが発達する。…
※「宇和島城」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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