日本大百科全書(ニッポニカ) 「広見」の意味・わかりやすい解説
広見
ひろみ
愛媛県南部、北宇和郡にあった旧町名(広見町(ちょう))。現在は鬼北町(きほくちょう)の南西部を占める一地域。1955年(昭和30)近永(ちかなが)町と愛治(あいじ)、泉、三島、好藤(よしふじ)の4村が合併して成立。2005年(平成17)日吉(ひよし)村と合併、鬼北町となる。旧町域は、四万十(しまんと)川の支流広見川、三間(みま)川流域を占め、鬼北盆地と山地からなる。広見の名は広見川による。JR予土(よど)線、国道320号、381号、441号が通じる。近世は奥地が吉田藩領、盆地部は宇和島藩領で、吉田藩では製糸、宇和島藩では製紙が行われ、藩の特産となったが、紙の統制強化などで吉田藩では百姓一揆(いっき)が発生したこともある。米作のほか、野菜・果樹栽培、酪農・畜産が行われる。かつては養蚕も盛んで、その品質は全国的に知られた。鬼北盆地の中心である近永は宇和島藩の農村支配代官所が置かれた地で、第二次世界大戦中にはサツマイモを原料に液体燃料を製造する商工省のアルコール工場が設置された。現在も民営によりバイオマス燃料の実用化が進められている。伊予神楽(かぐら)(国指定重要無形民俗文化財)や五つ鹿(いつしか)踊りなどが伝承し、善光寺薬師堂は室町時代の建造で国の重要文化財。南部の高月(たかつき)山や成川渓谷は足摺(あしずり)宇和海国立公園の一部。
[横山昭市]
『『広見町誌』(1985・広見町)』