日本大百科全書(ニッポニカ) 「川瀬太宰」の意味・わかりやすい解説
川瀬太宰
かわせだざい
(1819―1866)
江戸後期の志士。諱(いみな)は定、字(あざな)を静甫(せいほ)、号を狂葊(きょうあん)と称した。近江(おうみ)国(滋賀県)膳所(ぜぜ)藩家老戸田資能(すけよし)の子に生まれ、聖護院(しょうごいん)法親王家臣池田法眼(ほうげん)恭雄の養子となり、1850年(嘉永3)姓を川瀬に改めた。天文・地理の学に通じ、尊王論を藩主本多氏はじめ藩士に説くかたわら、諸藩の志士とも交遊して、妻の幸(こう)とともに同志を自邸にかくまったりした。64年(元治1)禁門の変にあたり壊走する長州藩士の救助を画策した。65年(慶応1)閏(うるう)5月新選組に捕らえられ、翌年京都で斬首(ざんしゅ)された。逮捕のとき幸は自刃した。著書に『日影表』『江州常図』『辺海築城議』など。夫妻の墓は大津市の池田家墓地にある。
[藤田恒春]
『『近江人物志』(1917・滋賀県教育会)』