川藤村(読み)かわふじむら

日本歴史地名大系 「川藤村」の解説

川藤村
かわふじむら

[現在地名]吉川町川藤

川野かわの村の北に位置し、村の西を古利根川、村内中央を二郷半領にごうはんりよう用水が流れる。天正一六年(一五八八)と推定される戊子二月三日の簗田助縄判物(渡辺文書)に「河藤之郷」とみえ、地内の大泉坊に対して、妙蔵坊・円覚坊に当郷を安堵し、大峯代官として活動することを命じており、当地が下総水海みずうみ(現茨城県総和町)の簗田氏の支配下にあったことがうかがえる。大泉坊は同氏のほかの判物にも現れ、これらの文書を収載する「風土記稿」には大泉坊の後身として当地の大泉だいせん(現廃寺)をあげ、本山派修験とする。なお地内薬師堂にある明暦元年(一六五五)再鋳の鐘銘に、永正(一五〇四―二一)頃に古河公方の老臣簗田胤正が川藤の地を領し管領していたことが刻まれていたという(同書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

今日のキーワード

苦肉の策

敵を欺くために、自分の身や味方を苦しめてまで行うはかりごと。また、苦しまぎれに考え出した手立て。苦肉の謀はかりごと。「苦肉の策を講じる」...

苦肉の策の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android