日本大百科全書(ニッポニカ) 「大泉」の意味・わかりやすい解説
大泉
おおいずみ
山梨県北西部、北巨摩郡(きたこまぐん)にあった旧村名(大泉村(むら))。現在は北杜(ほくと)市の北部中央を占める一地区。2004年(平成16)須玉(すたま)町、高根(たかね)町、長坂(ながさか)町、白州(はくしゅう)町、明野(あけの)村、武川(むかわ)村と合併、市制施行して北杜市となる。旧村域は、八ヶ岳(やつがたけ)の南麓(なんろく)に位置し、集落は標高800~1200メートルにある。北境は赤岳に及ぶ。中央をJR小海(こうみ)線が走り甲斐(かい)大泉駅(標高1150メートル)がある。米作、養蚕を主体とする農村であったが、八ヶ岳山麓の観光地化とともに、高原野菜、花卉(かき)栽培、畜産へ転換されている。また、甲斐大泉駅付近は第二次世界大戦後に開拓地として開かれた所であるが、現在では観光施設や旅館が並ぶ。北部は八ヶ岳中信高原国定公園域。八ヶ岳公園道路が走り、別荘や宿泊施設などが増加している。金生遺跡(きんせいいせき)(縄文時代)、谷戸城跡(やとじょうあと)は国史跡。「美森の大ヤマツツジ(うつくしもりのおおやまつつじ)」は国の天然記念物に指定されている。
[横田忠夫]
『小池信繁編『大泉村史 概説・続編』(1948、1956・大泉村)』
大泉(町)
おおいずみ
群馬県南東部、邑楽郡(おうらぐん)にある町。1957年(昭和32)大川(おおかわ)村と小泉(こいずみ)町が合併して改称。北は太田市に接し、東武鉄道小泉線、国道354号が通じている。中心の小泉は、日光例幣使街道脇(れいへいしかいどうわき)往還の宿場町、また1、6の日を市日とする市場町であった。第二次世界大戦中太田市とともに航空機製造の軍需工業地帯として発展、1959年一部をアメリカ軍の管理から返還され、1960年太田・大泉地区として首都圏整備法の適用を受けた。人口の25%が製造業に従事し、製造品出荷額の主力は電気機械器具と輸送機械器具で、内陸工業の特色を示し活気を呈している。工業労働の担い手として、2010年(平成22)末現在で人口の15%を超える外国人(おもに日系ブラジル人)が住む。北部では伝統的な小泉瓦(かわら)や植木鉢をつくり、町の西に豊臣(とよとみ)時代の杉山氏の小泉城跡がある。面積18.03平方キロメートル、人口4万2089(2020)。
[村木定雄]
『『大泉町誌』全2巻(1978、1983・大泉町)』