巣納谷村
すのだにむら
宮川右岸にあり、南は禰宜沢上村。西対岸の杉原村へは、「飛騨国中案内」によれば籠渡場があった。本村側の宮川は水流停滞し、洲のできやすい地形で、「斐太後風土記」には「砂生谷」とある。元禄検地帳(宮川村文書)では小島郷に属し、高二三石余、畑のみ七町二反余。漆六七束で、ほかに焼畑一町余があり、名請人は寺ともで一二人、ほかに鮎飛村よりの入作者二。「飛騨国中案内」では免二割二分四厘余、家数一六(うち寺一・百姓一三・門屋二)。安永三年(一七七四)の新田検地帳(宮川村文書)では、下畑を主に五町余・高一〇石余とある。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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