差海川(読み)さしみがわ

日本歴史地名大系 「差海川」の解説

差海川
さしみがわ

神西じんざい湖は日本海との間に砂丘地帯があるため吐水口がなく、大雨の度に大洪水に悩まされた。近世初期に神西村(現出雲市)の医者間島作庵の建策により、藤崎五右衛門が私財を投じて差海川の開削を図ったが失敗し、大梶七兵衛に相談した。これによって七兵衛が中心となり、貞享三年(一六八六)松江藩直営工事が完成して良田三八〇町歩を得た(「土工記」など)。「雲陽大数録」に「指海切貫、貞享三初ル、神在三ケ村新田大分出来ス」と記す。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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