市西郡(読み)しさいぐん

日本歴史地名大系 「市西郡」の解説

市西郡
しさいぐん

和名抄」に記す上総国市原郡の東部に置かれた郡。平安末期、当郡は上総氏の所領であったと推定されるが、その没後は千葉氏の支配下になったようである。鎌倉期と思われる某陳状(九条家冊子本「中右記」元永元年秋巻裏文書)に「市東西両郡郷」とみえ、千葉常秀の請所となっているが、一国検注の際に常秀の抵抗にあって両郡では実施できなかったという。郡内に岡成のほか海成の地があった。千葉常秀の子秀胤が宝治合戦に連座して滅んだあと、その遺領は足利義氏に宛行われているので、当郡も足利氏領になったのであろう。永仁四年(一二九六)足利貞氏(一説には家時とも)は市西郡勝馬かつま郷の倉持氏の相続を認め(三月一一日「足利貞氏下文案」倉持文書)、乾元二年(一三〇三)には市西郡内あま郷がやはり倉持氏に安堵されており(四月二二日「足利貞氏下文案」同文書)、いずれも足利氏の根本被官であることが注目される。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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