市谷南寺町(読み)いちがやみなみてらまち

日本歴史地名大系 「市谷南寺町」の解説

市谷南寺町
いちがやみなみてらまち

[現在地名]新宿区市谷薬王寺町いちがややくおうじまち

尾張西門通馬場から北上する通り(現外苑東通)を挟んで市谷薬王寺前いちがややくおうじまえ町の西を占める片側町。西は長昌ちようしよう寺、北は先手組同心の組屋敷、南は薬王寺。当地は古くは市谷村に属し、寛永一二年(一六三五)松雲しよううん寺の寺地となった。同寺は天和三年(一六八三)牛込原うしごめはら町に移転、明地となった当所を道路の付替えで元土取場(大隅町)拝領屋敷を収公された細工方同心の大久保平兵衛・永井新五右衛門の両名が代地として拝領町屋が開かれた。多くの寺院が集まる牛込弁財天うしごめべんざいてん町付近を俗に七軒寺しちけんてら町といい、同様に多くの寺院が集まる当地付近は、その南にあたるため俗に南寺町といったことが町名の由来という。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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