日本歴史地名大系 「長昌寺」の解説
長昌寺
ちようしようじ
長昌寺
ちようしようじ
利根橋と群馬大橋に挟まれた利根川左岸にあり、芳林山栄興院と号し、曹洞宗、本尊阿弥陀如来。寺伝によれば、延徳元年(一四八九)厩橋(前橋)城主長野宗賢が創建し、開山は大洞と伝える。万治二年(一六五九)の前橋城主代々覚書(「郡村誌遺漏」所収)によれば、当寺は前橋城主代々の位牌所で、開基の長野氏固山宗堅以来、上杉謙信の城代北条安芸守や平岩七之助、酒井河内守の代までは阿弥陀免六反歩を与えられていたが、その後召上げられ、今は三反歩になったと記している。石川忠総留書(内閣文庫蔵)によれば、天正一〇年(一五八二)織田信長の命により関東管領として厩橋城に入った滝川一益は、六月一一日に「厩橋長昌寺ニテ能興業」を行うため、「能組十二番書立、舞台ヲ拵、瓶ヲ十二フセ、総構ヲ大竹ニテ二重ニ被致候」の準備をした。
長昌寺
ちようしようじ
長昌寺
ちようしようじ
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報