日本歴史地名大系 「布施庄・布施郷」の解説 布施庄・布施郷ふせのしよう・ふせごう 兵庫県:龍野市布施庄・布施郷「和名抄」に記載される揖保(いぼ)郡布勢(ふせ)郷の郷名を継承したとみられる庄園で、現揖西町(いつさいちよう)地区の南西部一帯に比定される。北に小犬丸(こいぬまる)保があった。建久八年(一一九七)四月三〇日の官宣旨案(壬生家文書)によれば、応保年中(一一六一―六三)平頼盛が国司と共謀して布施郷を立庄し布施庄としたが、この際に郷内にすでに成立していた穀倉(こくそう)院(現京都市中京区)領小犬丸保の山林・畠地をも取込み、同保の池水まで奪ったという。治承・寿永の乱により頼盛の所領は没官されたが、頼盛の実母池禅尼が源頼朝の命の恩人であったことから、寿永三年(一一八四)四月六日布施庄を含めて頼朝から返還された(「源頼朝下文案」久我家文書)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by