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小犬丸保 こいぬまるのほ

百科事典マイペディアの解説

小犬丸保【こいぬまるのほ】

播磨国揖西(いっさい)郡にあった保。〈おいぬまるのほ〉とも。兵庫県たつの市を流れる小犬丸川流域,揖西町小犬丸一帯に展開した。《続左丞抄(ぞくさじょうしょう)》に引く1197年の官宣旨によると,穀倉院領で布施(ふせ)郷内であった。

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世界大百科事典 第2版の解説

こいぬまるのほ【小犬丸保】

播磨国揖保郡にあった穀倉院領荘園。〈おいぬまるのほ〉と読むこともある。もとの布施郷北辺にあたるが,古代の山陽道に沿い,布施駅家にも近く,早くからひらけた土地で,9世紀末から10世紀初めごろに穀倉院領になったらしい。現在の竜野市揖西町小犬丸(こいぬまる)一帯を占める。応保年中(1161‐63)に平頼盛が布施荘を立荘したが,同荘は小犬丸保には作田のほかに山林畠地などあるはずがないと称してこれを押領し,穀倉院別当中原師元と相論になった。

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世界大百科事典内の小犬丸保の言及

【小犬丸保】より

…現在の竜野市揖西町小犬丸(こいぬまる)一帯を占める。応保年中(1161‐63)に平頼盛が布施荘を立荘したが,同荘は小犬丸保には作田のほかに山林畠地などあるはずがないと称してこれを押領し,穀倉院別当中原師元と相論になった。師元の死後も平氏全盛の間は押領が続いたが,平氏が没落して布施荘が平家没官領として収公されると,小犬丸保は保領の四至を主張して押領されていた山林畠地や池を回復した。…

【開発】より

… このような開発には,開発主体が〈開発領主〉と称される領主的な開発と農民たちの村落的な共同開発とがあった。播磨国小犬丸保の〈土民等〉が〈計略を廻らし,功力を尽し〉て池を築造したのは後者の代表例であり,こうした農民的共同開発が中世村落成立の重要な基盤となった。それに対して前者は,比較的大規模な開発であり,若狭国国富保の開発領主となった太政官厨家小槻隆職,丹波国波々伯部保の開発領主として田堵等の組織者となった感神院大別当行円,摂津国猪名荘内の塩入荒野を開発せんとした鴨御祖社禰宜鴨県主祐季など下級貴族・寺僧・神官なども開発領主となっている。…

※「小犬丸保」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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