常本村
つねもとむら
[現在地名]西区平野町常本・春日台九丁目
明石川の左岸に位置し、南は西戸田村。天正一二年(一五八四)七月一四日、羽柴秀吉は淡路の知行地の替地として明石郡押部谷のうち中村・東村・黒田村・和田村とともに常本村一三一石の知行を船越景直に認めている(「羽柴秀吉判物」記録御用所本古文書)。慶長国絵図にも村名がみえる。正保郷帳では田方九二石余・畑方三六石余、芝山あり。明石藩領押部組に所属。享保年間(一七一六―三六)の「明石記」によると東西一〇四間・南北五八間、人数一一二・家数一四。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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