常栄寺跡(読み)じようえいじあと

日本歴史地名大系 「常栄寺跡」の解説

常栄寺跡
じようえいじあと

[現在地名]吉田町吉田

郡山こおりやま城内西側の常栄寺谷側の広大な平坦地にある。永禄六年(一五六三)毛利元就の長子隆元の没後、元就や弟の吉川元春・小早川隆景らが、その菩提寺として建立、隆元の師の周防山口国清こくしよう寺の僧竺雲恵心を開山とする。翌七年扶桑十刹に列し、勅願道場とされ、正親町天皇より「常栄広刹禅寺」の勅額を受け、恵心は紫方袍を勅賜された。毛利氏八箇国時代分限帳(山口県文書館蔵)に寺領一千四八〇石五斗とある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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