常清村(読み)つねきよむら

日本歴史地名大系 「常清村」の解説

常清村
つねきよむら

[現在地名]西伯町東上とうじよう

二升ふたます村の東、東長田ひがしながた川上流右岸に位置し、法勝寺ほつしようじ往来の枝道金山かなやま越が通る。南は金山村地名は当村を開発した者の名にちなむかという(「伯耆志」など)。寛永一〇年(一六三三)の地詰帳写(西伯町役場蔵)では高六七石余、反別五町六反余、名請人八名、各人を所持反別でみると二町二反余・一町三反余・九反余・四反余・二反余の者が各一名、他の三名は三―一反の畑のみを所持、このうち屋敷所有者は上層の者三名。拝領高は六二石余、本免は五ツ四分。藪運上銀一匁五分・大炭運上銀三匁五分が課され(西伯町誌)幕末の六郡郷村生高竈付では生高七六石余、竈数一〇。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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