東上村(読み)とうじようむら

日本歴史地名大系 「東上村」の解説

東上村
とうじようむら

[現在地名]一宮町東上

豊川の右岸。東は川田(かわだ)村(現新城市)、西は長山(ながやま)村に接する。慶長九年(一六〇四)彦坂九兵衛の検地を受ける。延享三年(一七四六)の三州宝飯郡東上村差出帳(浅若保氏蔵)によると、戸口は一四三戸、五四九人、うち男二五八・女二九一。用水は、田方一〇〇石ほどが境(さかい)川、一一〇石ほどが宮沢(みやざわ)用水、一三〇石ほどが炭焼沢(すみやきざわ)用水、五〇石ほどが溜池、二二石が天水場の水をそれぞれ利用している。また秣薪場は本宮(ほんぐう)山の奥宮参道東方と南方にある。


東上村
ひがしかみむら

[現在地名]大平村東上

東下村の南、西友枝(にしともえだ)村の東に位置し、東友枝川の上流・中流域の山間の村。江戸時代初めは東下村と合せて友枝村(東友枝村)一村であったが、のち上下に分立。領主の変遷は土佐井(つつさい)村に同じ。正保国絵図では下友枝内の頭注を付した上村がみえるが、高は記されていない。元禄豊前国高帳には「古ハ上村」の注を付して東上村がみえ、高六五〇石余。郷村高帳では高九五一石余、うち新田高二八石余。寛政七年(一七九五)の上毛郡村々明細帳(友枝文書)によると高八三八石余、免四ツ一分六朱、反別田四九町余・畠一三町六反余、家数二二六(本村二六・岩屋三六・有田二三・峰一一・内蔵守一八・車石二三・小川内二二・樋掛六・三歩市五・大川内八・大桐一一・三田一一・佐敷三・中蔵一九)、人数男五一九・女四五七、牛六四・馬四二、八社大明神、有田(ありた)池など池が七ヵ所ある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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