常葉城(読み)ときわじょう

日本の城がわかる事典 「常葉城」の解説

ときわじょう【常葉城】

福島県田村市(旧常葉町)にあった山城(やまじろ)。旧常葉町の中心部の東にある大志多山(標高536.4m、比高90m)を城域としていた規模の大きな城郭である。本郭のほか二の郭・三の郭・四の郭のほか、東の出丸、北の出丸の5つの砦(曲輪(くるわ))で構成されていた。鎌倉時代後期の1274年(文永11)、熊谷直実の子孫の熊谷直則が築いた居館がその起源とされ、以後およそ300年間にわたって、この地域一帯を支配した熊谷氏、常盤氏、石沢氏の居城となった。石沢氏は戦国大名の田村氏に臣従し、同城は相馬領と境を接する位置にあったことから、田村氏の東の備えとして機能した。1589年(天正17)、田村氏の内紛に応じて侵攻してきた相馬・岩城連合軍の攻撃を受け、城主の石沢修理亮が戦死し、同城は落城。その後間もなく廃城となった。現在、城域一帯は舘公園(城址公園)となっており、二層の櫓(やぐら)(模擬天守)が建っているが、常葉城は近世城郭の天守は持たず、この建物はかつての城の建物を復元したものではない。また、二の門跡起点に三の丸跡や本丸跡に至る遊歩道が整備されている。JR磐越東線船引駅からバスで常葉中町下車、徒歩約15分。◇旭城とも呼ばれる。また、常磐城とも記される。

出典 講談社日本の城がわかる事典について 情報