日本大百科全書(ニッポニカ) 「常陸丸」の意味・わかりやすい解説
常陸丸
ひたちまる
日本郵船会社所属の貨客船で、日露戦争において「悲運の常陸丸」として名を残した船。1898年(明治31)8月に三菱(みつびし)長崎造船所で完成した。6172総トン、長さ135.64メートル、主機三連成往復動汽機3847馬力2基、速力14.18ノット、乗客定員1等24人、2等20人、3等116人。当時の国産最大・最高速の汽船として欧州航路に就航していた。1904年(明治37)2月、日露開戦と同時に陸軍御用船となり、兵器・弾薬輸送に従事。イギリス人ジョン・キャンベル船長、輸送指揮官須知中佐のもと、同年6月15日、将兵ら1063人を乗せて中国へ向かう途中、沖ノ島付近においてロシアのリューリック号とロシア号の両艦から砲撃され沈没した。30余人が漁船に救助されたほかは、1000人以上が悲壮な最期を遂げた。これが琵琶歌(びわうた)(池辺義象作『常陸丸』)に歌われ、国民の涙を誘って今日に語り継がれている。
[茂在寅男]