日本歴史地名大系 「幟丁」の解説 幟丁のぼりちよう 徳島県:徳島市徳島城下幟丁[現在地名]徳島市幟町一―四丁目御弓(おゆみ)丁の東に並行して南北に続く武家地。東を大道(おおみち)、南を金比羅(こんぴら)(金刀比羅)社、北を北山路の同心(きたやまじのどうしん)丁に囲まれる。旗の者が居住したことから幟丁とよんだと思われる。旗の者とは戦時には旗を持進む足軽で、文政一一年(一八二八)には一組・二二人がおり(「無足以下分限帳」蜂須賀家文書)、旗頭を勤める中老の支配を受けた。寛永八―一三年(一六三一―三六)の忠英様御代御山下画図では宅地化されていなかったが、天和三年(一六八三)の渭津城下之絵図では町割が進展し、弓者屋敷・足軽屋敷・歩行者屋敷が設けられている。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by