干立村(読み)ふだていむら

日本歴史地名大系 「干立村」の解説

干立村
ふだていむら

[現在地名]竹富町西表いりおもて

西表いりむてい村の小村祖納すね村の北、与那田ゆなだ川右岸に位置する。地元ではフダティという。村域北西隅の岬は正保国絵図に「いめ城崎」とみえ、その東方一帯にはかつてイミシュクという集落があり、のちに与那田川河口に移って干立村となったと伝える。両島絵図帳に「ほし立村」とみえ、高二〇〇石余で入表いりむてい間切のうち。崇禎元年(一六二八)の三間切制移行時の書上(八重山島年来記)に村名がなく、大浜ほーま間切西表村に統括されたとみられる。雍正五年(一七二七)の八重山島由来記によると村は酉(西)の方に向き、長さ三町五一間・横一町二七間。乾隆二年(一七三七)の調査報告(参遣状)に西表村の小村とされ、村回り一〇町四六間、人口二五四人。同一五年西表村の小村上原ういばる村に祖納村・干立村のうち二九四人を付け、上原村を独立村としたい旨の申請が出された(八重山島年来記・参遣状)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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