平原八幡宮(読み)ひらばらはちまんぐう

日本歴史地名大系 「平原八幡宮」の解説

平原八幡宮
ひらばらはちまんぐう

[現在地名]宇部市大字際波 迫条

際波の迫条きわなみのさこじよう山麓鎮座祭神は応神天皇・仲哀天皇・神功皇后・武内宿禰。旧村社。

「注進案」所収の縁起写によれば、仲哀天皇が熊襲征伐の途次御座船が着船したと伝えるこの地に、寛和元年(九八五)筑紫国怡土いと子負原こぶがはら(現福岡県糸島郡前原町)の八幡宮の神体を祀ったのに始まるという。社殿造営の正確な年代は不明であるが、同書は旧暦九月一〇日からの祭事について「上卿地下役人神役中社参、神輿二社鼻高大鉾太鼓たくだ鉄炮引馬行列を正し馬場先御旅所へ御幸有之、大祓神楽執行仕夫より還幸流鏑馬御座候」と記す。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

関連語 公会堂 近世 仏像

今日のキーワード

苦肉の策

敵を欺くために、自分の身や味方を苦しめてまで行うはかりごと。また、苦しまぎれに考え出した手立て。苦肉の謀はかりごと。「苦肉の策を講じる」...

苦肉の策の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android