ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説
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(佐佐木隆)
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…現,御所市古瀬)とした臣姓の有力古代豪族。その祖,巨勢小柄宿禰は,武内宿禰の子と伝承されており,蘇我氏,波多氏,葛城氏らとともに,武内宿禰の後裔と称していた。巨勢氏の本拠地は,曾我川の上流に近い山間で(コセの地名は,こうした地形に基づく),紀伊に至る紀路が走る要衝である。…
…旧郷社。主神は武内宿禰,副神は仲哀,応神両天皇と神功皇后。社伝では天平年間(729‐749)伴行頼の創祀という。…
…これについては蘇我氏がその権勢を示すために,蘇我馬子をモデルとして6世紀末前後に作ったとする説,藤原鎌足をモデルとして7世紀末に作られたとする説がある。後者は,系譜や物語にかかわる天皇がほとんど非実在者であること,《風土記》に神功皇后の物語が多く,武内宿禰の記事は絶無なので,両者の結合は記紀成立時であること,文武天皇の宣命に鎌足と武内宿禰とを近侍の重臣として等視する事実のあることなどを根拠とする。しかし蘇我氏の祖先伝承はこれが唯一であることを考えると,ただちに後説にも従い得ない。…
…これについては蘇我氏がその権勢を示すために,蘇我馬子をモデルとして6世紀末前後に作ったとする説,藤原鎌足をモデルとして7世紀末に作られたとする説がある。後者は,系譜や物語にかかわる天皇がほとんど非実在者であること,《風土記》に神功皇后の物語が多く,武内宿禰の記事は絶無なので,両者の結合は記紀成立時であること,文武天皇の宣命に鎌足と武内宿禰とを近侍の重臣として等視する事実のあることなどを根拠とする。しかし蘇我氏の祖先伝承はこれが唯一であることを考えると,ただちに後説にも従い得ない。…
※「武内宿禰」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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