武内宿禰(読み)たけのうちのすくね

精選版 日本国語大辞典 「武内宿禰」の意味・読み・例文・類語

たけのうち‐の‐すくね【武内宿禰】

大和朝廷初期景行成務・仲哀・応神・仁徳の五朝二四四年間仕えたという伝説上の人物蝦夷地視察神功皇后を助けての新羅出兵、また、香坂・忍熊二王子追討に活躍したという。葛城平群(へぐり)巨勢(こせ)蘇我・紀などの古代豪族は彼の子孫というが、いずれも史実としては信じがたい。

たけしうち‐の‐すくね【武内宿禰】

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デジタル大辞泉 「武内宿禰」の意味・読み・例文・類語

たけのうち‐の‐すくね【武内宿禰】

大和朝廷の初期に活躍したという伝説上の人物。記紀によれば第8代孝元天皇曽孫で、景行成務仲哀応神仁徳の5朝に仕え、大臣となり、神功皇后を助けて新羅しらぎ出兵などに功績があったという。葛城かつらぎ巨勢こせ平群へぐり蘇我そが紀氏などの祖とされる。

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百科事典マイペディア 「武内宿禰」の意味・わかりやすい解説

武内宿禰【たけうちのすくね】

たけうち〉〈たけしうち〉とも。大和朝廷の初期に活躍した伝承上の人物。記紀によれば,東国を視察,成務(せいむ)朝に大臣(おおおみ)となり,神功(じんぐう)皇后に従って新羅(しらぎ)を征し,景行・成務・仲哀(ちゅうあい)・応神・仁徳の5朝にわたって仕えたという。蘇我(そが)・葛城(かつらぎ)・巨勢(こせ)・平群(へぐり)などの諸氏祖先とされる。
→関連項目紀貫之巨勢氏蘇我氏平群氏

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朝日日本歴史人物事典 「武内宿禰」の解説

武内宿禰

『古事記』『日本書紀』に登場する伝承上の人物。建内宿禰とも書かれ,また武内,建内はタケウチノ,タケノウチノとも読まれる。『古事記』では第8代孝元天皇の皇子比古布都押之信命と山下影比売の子で,成務天皇をはじめとする4代の天皇に仕えたと伝え,『日本書紀』では屋主忍男武雄心命と紀直の遠祖【G7EDF道彦/とじひこ】の娘の影媛との間に生まれた子で,上記の4代のほかに景行天皇にも仕えたと伝える。大変な長寿であり,徹底した忠臣,神の代弁者として活躍したことが語られ,また葛城,蘇我,平群その他の諸氏の祖とされる。しかし,その伝承の史実性は極めて薄いので,理想的な大臣として描かれた説話上の人物だと考えられている。あるいは,各天皇に仕えた何人かの忠臣に対するイメージが統合され,それがひとりの人物として説話の中で具現化されたものか。

(佐佐木隆)

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世界大百科事典 第2版 「武内宿禰」の意味・わかりやすい解説

たけうちのすくね【武内宿禰】

大和朝廷初期の伝説上の人物。《古事記》では建内宿禰と記す。タケシウチノスクネ,タケノウチノスクネとも読む。孝元天皇の孫(《古事記》)または曾孫(《日本書紀》)で,景行朝初年,紀直(きのあたい)の女を母として紀国で生まれたとされる。景行天皇の51年正月の宴に〈非常(おもいのほか)に備へて〉門下に侍し忠誠を賞され,同年棟梁の臣となり,記によれば成務,仲哀,応神,仁徳(紀では景行から仁徳)朝の大臣をつとめたという。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「武内宿禰」の解説

武内宿禰 たけしうちのすくね

記・紀にみえる人物。
孝元天皇の孫とも,曾孫ともされる。景行から仁徳にいたる5代の天皇につかえ,蝦夷(えみし)地視察,神功(じんぐう)皇后の新羅(しらぎ)出兵をたすけるなどし,大臣(おおおみ)をつとめたとされる。大臣をおおくだした葛城(かずらき),平群(へぐり),巨勢(こせ),蘇我(そが)ら28氏の共通の祖先とされている。「古事記」では建内宿禰。「たけのうちのすくね」ともよむ。

武内宿禰 たけのうちのすくね

たけしうちのすくね

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旺文社日本史事典 三訂版 「武内宿禰」の解説

武内宿禰
たけしうちのすくね

記紀の伝承にあらわれた大和政権の大臣
「たけのうち」とも読む。巨勢 (こせ) ・平群 (へぐり) ・葛城 (かつらぎ) ・蘇我 (そが) 4氏の祖とされる。景行〜仁徳5天皇に大臣 (おおおみ) として仕え,神功 (じんぐう) 皇后に従って三韓征討に従事したという。伝説では300歳をこえる長寿者。

武内宿禰
たけのうちのすくね

たけしうちのすくね

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「武内宿禰」の意味・わかりやすい解説

武内宿禰
たけのうちのすくね

「たけしうちのすくね」ともいう。古代,大和朝廷初期に活躍したといわれる伝承上の人物。「記紀」によれば,孝元天皇の子孫,日本最初の大臣,神功皇后の新羅征伐に従軍し,景行,成務,仲哀,応神,仁徳の天皇に仕え,二百数十年間,官にあったという。蘇我,葛城,平群,巨勢の4氏の祖ともいわれる。

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世界大百科事典内の武内宿禰の言及

【巨勢氏】より

…現,御所市古瀬)とした臣姓の有力古代豪族。その祖,巨勢小柄宿禰は,武内宿禰の子と伝承されており,蘇我氏,波多氏,葛城氏らとともに,武内宿禰の後裔と称していた。巨勢氏の本拠地は,曾我川の上流に近い山間で(コセの地名は,こうした地形に基づく),紀伊に至る紀路が走る要衝である。…

【武雄神社】より

…旧郷社。主神は武内宿禰,副神は仲哀,応神両天皇と神功皇后。社伝では天平年間(729‐749)伴行頼の創祀という。…

【武内宿禰】より

…これについては蘇我氏がその権勢を示すために,蘇我馬子をモデルとして6世紀末前後に作ったとする説,藤原鎌足をモデルとして7世紀末に作られたとする説がある。後者は,系譜や物語にかかわる天皇がほとんど非実在者であること,《風土記》に神功皇后の物語が多く,武内宿禰の記事は絶無なので,両者の結合は記紀成立時であること,文武天皇の宣命に鎌足と武内宿禰とを近侍の重臣として等視する事実のあることなどを根拠とする。しかし蘇我氏の祖先伝承はこれが唯一であることを考えると,ただちに後説にも従い得ない。…

【武内宿禰】より

…これについては蘇我氏がその権勢を示すために,蘇我馬子をモデルとして6世紀末前後に作ったとする説,藤原鎌足をモデルとして7世紀末に作られたとする説がある。後者は,系譜や物語にかかわる天皇がほとんど非実在者であること,《風土記》に神功皇后の物語が多く,武内宿禰の記事は絶無なので,両者の結合は記紀成立時であること,文武天皇の宣命に鎌足と武内宿禰とを近侍の重臣として等視する事実のあることなどを根拠とする。しかし蘇我氏の祖先伝承はこれが唯一であることを考えると,ただちに後説にも従い得ない。…

※「武内宿禰」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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