平塚飄斎(読み)ひらつか ひょうさい

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「平塚飄斎」の解説

平塚飄斎 ひらつか-ひょうさい

1794-1875 江戸時代後期の儒者,山陵研究家。
寛政6年閏(うるう)11月7日生まれ。京都町奉行所与力,のち旗本。嘉永(かえい)7年(1854)三条実万(さねつむ)らと山陵会をつくり,「陵墓一隅抄」をあらわし水戸徳川斉昭(なりあき)に献呈安政の大獄で一時,永蟄居(えいちっきょ)の処分をうける。明治8年2月13日死去。82歳。山城(京都府)出身。名は茂喬。字(あざな)は士梁。別名に津久井清影。

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367日誕生日大事典 「平塚飄斎」の解説

平塚飄斎 (ひらつかひょうさい)

生年月日:1794年11月7日
江戸時代末期;明治時代の儒者;山陵研究家
1875年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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