平塚飄斎(読み)ひらつか・ひょうさい

朝日日本歴史人物事典 「平塚飄斎」の解説

平塚飄斎

没年:明治8.2.13(1875)
生年:寛政6.閏11.7(1794.12.28)
江戸後期の京都の儒者,山陵研究家。京都町奉行所与力,のちに旗本。本名茂喬,字士梁,飄斎と号し,別名を津久井清影と称した。安政の大獄(1859)に連座するが,のち許される。山陵の研究家として知られ,安政1(1854)年に三条実万,砂川健次郎らと山陵会を創設,また幕府による文久年間の修陵に際しては,谷森善臣らと共に諸陵調方を依嘱された。一方で頼山陽らの文人とも交流があり,詩文,狂詩などをよくした。与力時代,天保の大飢饉では私財を投げ打ち飢民を救済するなど,義の人でもあった。著作は『陵墓一隅抄』『聖蹟図志』『牧民心鑑解』『大和路便覧』など多数。<参考文献>和田萃「山陵家平塚瓢斎」(森浩一編『考古学の先覚者たち』)

(中村一紀)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「平塚飄斎」の解説

平塚飄斎 ひらつか-ひょうさい

1794-1875 江戸時代後期の儒者,山陵研究家。
寛政6年閏(うるう)11月7日生まれ。京都町奉行所与力,のち旗本。嘉永(かえい)7年(1854)三条実万(さねつむ)らと山陵会をつくり,「陵墓一隅抄」をあらわし水戸徳川斉昭(なりあき)に献呈。安政の大獄で一時,永蟄居(えいちっきょ)の処分をうける。明治8年2月13日死去。82歳。山城(京都府)出身。名は茂喬。字(あざな)は士梁。別名に津久井清影。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「平塚飄斎」の解説

平塚飄斎 (ひらつかひょうさい)

生年月日:1794年11月7日
江戸時代末期;明治時代の儒者;山陵研究家
1875年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

今日のキーワード

潮力発電

潮の干満の差の大きい所で、満潮時に蓄えた海水を干潮時に放流し、水力発電と同じ原理でタービンを回す発電方式。潮汐ちょうせき発電。...

潮力発電の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android