平尾城山古墳(読み)ひらおじようやまこふん

日本歴史地名大系 「平尾城山古墳」の解説

平尾城山古墳
ひらおじようやまこふん

[現在地名]山城町大字平尾 城山

木津きづ川東岸、東の三上さんじよう山から西に延びる尾根の一つの丘陵上(九六メートル)南西向きに築かれた前方後円墳。地籍は平尾と北河原きたがわらにわたる。南約七〇〇メートルの丘陵上に椿井大塚山つばいおおつかやま古墳、北約八〇〇メートルに弥生時代の集落跡と推定される湧出宮わきでのみや遺跡がある。当古墳は全長約一一〇メートル、後円部径約七〇メートル、高さ約一一・五メートル、前方部幅約三八メートル、高さ約六・八メートル、後円部は三段、前方部は二段の築成と推定される。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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