日本歴史地名大系 「平時忠邸跡」の解説 平時忠邸跡たいらのときただていあと 京都市:下京区稚松学区富田町平時忠邸跡「山槐記」治承三年(一一七九)一一月三日条に「天晴、戌剋南方有火、別当時忠近隣云々、(中略)別当家左女牛北東洞院東也、検非違使等来令壊小屋云々」とあり、左女牛小路北、東洞院大路東に位置した。その広さは不詳であるが、ほぼ現在の富田(とみた)町北東部から天神町北、橋詰町東、夷之町南辺りの地となる。平時忠は時信の子で、平清盛の妻時子、後白河天皇の女御建春門院滋子の兄であった。仁安二年(一一六七)に参議となり、滋子及び清盛との関係から権勢を振るい、寿永二年(一一八三)には権大納言(公卿補任)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by