平源寺(読み)へいげんじ

日本歴史地名大系 「平源寺」の解説

平源寺
へいげんじ

[現在地名]蓮田市上平野

本国山等泰院と号し、浄土宗本尊阿弥陀如来。寺蔵の由緒記によれば開山年次は不明であるが、教誉源栄を開山とする。源栄は普光観智国師源誉存応の弟子で、江戸浅草正覚しようがく寺から移って平源寺を開山し、その後岩瀬いわせ(現神奈川県鎌倉市)大長だいちよう寺などへ移った。平源寺は関東の寺院のなかでも早期に、徳川家康側近で、寺社行政の取次役である全阿弥(内田正次)と交渉をもった寺院である。寺蔵の天正一八年(一五九〇)と推定される一二月二〇日の全阿弥書状、同一九年と推定される卯閏正月二五日の寺内林伐採禁止の伊奈忠次制札などにより、天正一八年徳川家康の意をうけた全阿弥が在地の代官河口十蔵・志村勘八に当寺の寺領安堵を命じ、翌年一月代官頭伊奈忠次より制札が下され寺領が安堵されたことがうかがえる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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