神通川の河口、現在の東岩瀬・西岩瀬一帯で、「和名抄」の新川郡
「義経記」巻七には「六道寺の渡」「岩瀬の渡」からは渡銭の支払場所について、順路に従い、「水はしのわたしもり」「いはせのわたしもり」「はすぬまのふなもり」と記している(同年一一月三日「頤神軒存
算用状」伊達家文書)。また延徳三年(一四九一)三月に越中を旅した冷泉為広・細川政元一行は、「アシアライ里、ウチデ里、シバクサ、ヨカタ里、イハセ渡、大河アリ、里 カミイハセ、ナカエノ木里」とたどっている(越後下向日記)。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
茨城県中西部、西茨城郡にあった旧町名(岩瀬町(まち))。現在は桜川市(さくらがわし)の北部を占める地域。1925年(大正14)西那珂(にしなか)村が町制施行して岩瀬町と改称。1955年(昭和30)東那珂、北那珂の両村と合併。2005年(平成17)、真壁(まかべ)郡真壁町、大和村(やまとむら)と合併して市制施行、桜川市となった。旧町名は中心地区である岩瀬の地名をとった。旧町域はJR水戸線が通じ、国道50号も走り、北関東自動車道の桜川築西インターチェンジがある。筑波(つくば)、鶏足(とりあし)両山地間の盆地で、桜川が流れる。近世、笠間(かさま)藩領で、富山県礪波(となみ)地方から入植者もあった。米、葉タバコ、カボチャ、ユズなどの農業を主とし、石材や砕石を産する。月山寺(がっさんじ)を中心に文化財が多く、三重塔(国の重要文化財)のある富谷(とみや)観音(小山(おやま)寺)や、ミイラを安置する妙法寺などがある。謡曲『桜川』ゆかりの磯部(いそべ)の桜川と同所のサクラ(白ヤマザクラ)はそれぞれ国の名勝、天然記念物。
[櫻井明俊]
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