平知信(読み)たいらのとものぶ

朝日日本歴史人物事典 「平知信」の解説

平知信

没年:天養1.2.19(1144.3.24)
生年:生年不詳
平安後期の貴族。春宮亮平経方と主殿頭藤原雅信(あるいは惟信)の娘の子。桓武平氏高棟王の子孫の,「日記の家」(『今鏡』)と称された有職故実を伝承する家流に属する。文章生より堀河天皇蔵人となり,以後左衛門尉,検非違使,兵部少輔,中宮大進,兵部権大輔,少納言などを歴任し,保延年間(1135~41)ころに出羽守に任ぜられる。その高い事務能力を買われて,摂関藤原忠実家の家司として長く活躍した。日記『知信朝臣記』が,陽明文庫に収蔵されており,その紙背には,摂関家政所の活動の様子を知る貴重な文書群がみられる。

(上杉和彦)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「平知信」の解説

平知信 たいらの-とものぶ

?-1144 平安時代後期の官吏
有職(ゆうそく)故実をつたえる平高棟流平氏に属する。従四位上にのぼり,兵部大輔(たいふ)となる。関白藤原忠実の家司(けいし)をつとめた。康治(こうじ)3年2月19日死去。日記に「知信記」。

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