平舘台場跡(読み)たいらだてだいばあと

日本歴史地名大系 「平舘台場跡」の解説

平舘台場跡
たいらだてだいばあと

[現在地名]平舘村平舘

集落の中心から北約二キロの海岸沿いにある。寛政四年(一七九二)のラクスマン来航以降、弘前藩領沖にも異国船が度々出没するようになり、弘化四年(一八四七)三月二一日には平舘に異国船が寄港、八名が上陸し、食糧を要求した。嘉永元年(一八四八)三月二一日袰月ほろづき(現今別町)沖に五隻現れ、二四日は藤島ふじしま(現三厩村)にアメリカ人二九名が上陸。四月三日にも異国船が平舘と竜浜たつはま(現三厩村)に現れた。藩では警備を強化し、平舘に台場を構築し、翌二年には陣屋も設置した(津軽歴代記類)。この時に御仮屋ならびに陣屋、土蔵五ヵ所、大筒台場五ヵ所が作られた(青森市沿革史)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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