平舘村(読み)たいらだてむら

日本歴史地名大系 「平舘村」の解説

平舘村
たいらだてむら

[現在地名]平舘村平舘

東は平舘海峡の最狭部に臨み、きた脇野沢わきのさわ(現下北郡脇野沢村)に対する。南は根岸ねぎし村、西は袴腰はかまごし岳を隔てて大川平おおかわたい(現今別町)、北は石崎いしざき村に接する。陸奥湾の出入口で船溜りの好位置にあたるため、早くから交通上の要地とされていた。国日記寛文四年(一六六四)三月二三日条に「浦々当年遣候沖横目之覚」として「一平舘 木村太右衛門、清野次五兵衛」とあり、湊番所が置かれている。翌五年には当村と小泊こどまり(現北津軽郡小泊村)の沖横目に宛てて、間役銀・面役銀や木綿・茶・紙などの諸役の取立てが命じられている(国日記)

貞享元年(一六八四)の郷村帳に寛文四年以降の新田として村名があり、高四八八・一石。同四年の検地帳によれば支村を含まない村高一四八・四七五石、うち田方一二三・二五八石、屋敷は別で畑方二五・二一七石、中・下田が七割四分を占め、畑は下・下々畑が七割九分、この一帯では農産が多い。


平舘村
たいらだてむら

面積:五一・三一平方キロ

津軽半島の東海岸の北部に位置し、東は陸奥湾に面し、平舘海峡を隔てて下北郡脇野沢わきのさわ村に対する。南西蟹田かにた町、北西今別いまべつ町に接し、北は津軽海峡に面する。南北一七キロ、東西は最広部で五キロ弱という細長い村で、西部は山地、海岸沿いのわずかな平地を通る国道二八〇号に小集落が連なる。総耕地は二四七ヘクタールで、やませの影響により土地生産力は低く、海産の焼干・帆立貝などの生産で補ってきた


平舘村
へだてむら

[現在地名]千倉町平舘

南朝夷みなみあさい村の南に位置し、東は海に面する。慶長二年(一五九七)の安房国検地高目録に村名がみえ、高一五七石余、うち田方一一九石余。里見氏直轄領。正保郷帳では田高一三〇石余・畑高三五石余、旗本田中領(寛永一〇年から)。以後の領主変遷は南朝夷村に同じ。享和元年(一八〇一)の家数一二七・人数七八五(伊能忠敬測量日記)。天保村高帳では高一七二石余、家数一四二。地先海域は鰯漁の好漁場であった(→白子村

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

今日のキーワード

仕事納

〘 名詞 〙 年の暮れに、その年の仕事を終えること。また、その日。《 季語・冬 》[初出の実例]「けふは大晦日(つごもり)一年中の仕事納(オサ)め」(出典:浄瑠璃・新版歌祭文(お染久松)(1780)油...

仕事納の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android