台場跡(読み)だいばあと

日本歴史地名大系 「台場跡」の解説

台場跡
だいばあと

[現在地名]田辺市上屋敷町

田辺城二の丸に南接した海岸に、幕末、黒船来襲に備えて築かれた砲台。安政元年(一八五四)七月から約二ヵ年の短時日間に、田辺安藤氏家臣柏木兵衛(淡水)が中心となって施工。設計と指導には同年五月播磨の蘭学者村上代三郎を招き、長さ三五間半、幅一三間余、高さ一丈の台場を築き、その上の東・西・南の三方に高さ八尺の土手を盛り、南側の海岸側に幅五尺、深さ五尺の堀を設けるという計画がなされた(御用留)大砲は佐久間象山に学んだ兵衛を中心に、上野うえの山などで四八ポンドのヘキザンス砲、一八ポンドのカノン砲、六ポンド・三ポンドなどの野戦砲、ハンド臼砲など二八門を二年間をかけて鋳造した。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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