日本歴史地名大系 「幸津村」の解説 幸津村さいつむら 佐賀県:鳥栖市幸津村[現在地名]鳥栖市幸津町(さいつまち)朝日(あさひ)山東麓の中・低位段丘上に立地。正応五年(一二九二)の「惣田数注文」(河上神社文書)に「幸津庄・幸津新庄」とある。村内に田中(たなか)村・中川原(なかがわら)村・新庄(しんじよう)村・本庄(ほんじよう)村・島(しま)村・安良(やすろ)宿の小名があり、条里制遺称として三十六(さんじゆうろく)の坪名がある。佐賀藩の藩政期、地米(年貢)高は貞享四年(一六八七)改郷村帳では五六九石余、全村が蔵入地となっているが、嘉永六年(一八五三)写の大小配分石高帳では村のほとんどが着座鍋島左太夫家(高一千五〇〇石、総物成六〇〇石)の知行地となっている。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報