幸竹新村(読み)こうたけしんむら

日本歴史地名大系 「幸竹新村」の解説

幸竹新村
こうたけしんむら

[現在地名]稲美町幸竹

森安もりやす村の東、くもり川の南側の段丘面から約五メートル低い傾斜地に位置する。かつては丹波たんば藪とよばれ、竹藪が生茂っていたという(「村名覚書」久保家文書)。開発はなか西教さいきよう寺の開基である浄円が願出、その後息子太兵衛とその義弟平左衛門により寛永一六年(一六三九)から進められた。姫路藩より人夫八〇〇余人、銀五貫・米一五石が与えられ、五〇町歩余を開拓したという。一部は森安村に編入され、一部は南隣の和田新わだしん村となった。寛永一九年には幸竹池も築造された(「幸竹新村縁起」久保家文書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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