幾山村
いつくやまむら
[現在地名]岐宿町松山郷・中岳郷・二本楠郷
河原村の南に位置し、鰐川が北流する。西に父ヶ岳・七ッ岳、中ほどに荒神岳、東に行者山がある。村内に松山村・中岳村・二本楠村があるが、小川幾山村(現玉之浦町)を含めて幾山村と称する場合もあった。宇久純定(天正一四年没)の弟の宇久盛重が小川・幾山を知行したという(寛政重修諸家譜)。江戸時代は福江藩領岐宿掛に属する。慶長国絵図に「い幾山」とみえ、高八五石余。万治二年(一六五九)の惣高積之帳に岐宿領として「両幾山」とみえ、正保国絵図の高四〇五石余、今高六一九石余。この両幾山は小川幾山村と併称したものと考えられ、万治年間とされる五島一円惣高帳でも両幾山村とし、高六一九石余、うち蔵入地三一一石余・給地二四六石余・寺社領六一石余。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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