日本歴史地名大系 「広内村」の解説 広内村ひろうちむら 大分県:大分市旧鶴崎市地区広内村[現在地名]大分市広内大野川左岸の山間地、丹生(にゆう)川の源流域に位置し、南方に九六位(くろくい)山(四五二メートル)がある。海部郡に所属。大野川東岸の宮河内(みやがわうち)村から東行してきた臼杵(うすき)・府内城路が通り、広内峠越で南東の末広(すえひろ)村(現臼杵市)に向かう。文禄二年(一五九三)の丹生庄検地帳写(渡辺家文書)に村名がみえ、村位は下、高八四石余、うち田高五八石余・畑高二六石余。検地奉行山口玄蕃頭宗永。名請人は孫市郎のみで、一村一人名請の状態であった。江戸時代を通じて臼杵藩領。慶長一一年(一六〇六)の惣御高頭御帳では八四石余、宮川内村組。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by