20世紀日本人名事典 「広岡謙二」の解説 広岡 謙二ヒロオカ ケンジ 昭和期の官僚 国防会議初代事務局長;元・警視総監。 生年明治34(1901)年1月27日 没年平成7(1995)年6月30日 出身地徳島県 学歴〔年〕東北帝大法文学部〔昭和2年〕卒 主な受賞名〔年〕勲二等瑞宝章〔昭和46年〕 経歴内務省に入省、宮城県特高課長などで活躍。石川県知事を経て、昭和22年2〜6月第58代警視総監を務めた。同年9月公職追放。31年鳩山内閣の下で国防会議初代事務局長となり、「国防の基本方針」「第1次防衛力整備計画」の作成に携わった。38年海外移住事業団初代理事長。 出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報 Sponserd by
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「広岡謙二」の解説 広岡謙二 ひろおか-けんじ 1901-1995 昭和時代の官僚。明治34年1月27日生まれ。昭和2年内務省にはいり,警視庁特高一課長,大分・熊本・福岡県の警察部長をへて,21年石川県知事。22年警視総監のとき公職追放となる。31年国防会議事務局長。38年海外移住事業団理事長。平成7年6月30日死去。94歳。徳島県出身。東北帝大卒。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by