広川松五郎(読み)ひろかわ まつごろう

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「広川松五郎」の解説

広川松五郎 ひろかわ-まつごろう

1889-1952 大正-昭和時代の染色工芸家。
明治22年1月29日生まれ。大正14年パリ万国装飾美術工芸博覧会で銀賞。15年工芸団体「无型(むけい)」を創立,同人となる。昭和4年帝展で特選,のち審査員をつとめた。10年母校東京美術学校(現東京芸大)の教授。25年染色研究団体「示風会」を創立。友禅染,蝋(ろう)染めを得意とした。昭和27年11月2日死去。63歳。新潟県出身。

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世界大百科事典(旧版)内の広川松五郎の言及

【明治・大正時代美術】より

…この点で彼らの主張は,帝展(かつての文展)に工芸の出品を認めさせる運動の原動力ともなっていった。26年に,鋳金の高村豊周や内藤春治(はるじ)(1895‐1979),彫金の北原千鹿(せんろく)(1887‐1951),漆工の山崎覚太郎(1899‐1984),染色の広川松五郎(1889‐1952)らによって无型(むけい)が結成された。帝展に工芸部が設置された27年ころは彼らの活動も高揚し,この年,北原千鹿を中心にして,信田洋(のぶたひろし)(六平,1902‐90),山脇洋二(1907‐82)らの金工家が集まって工人社が結成された。…

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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」